いーむの日記

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【読書メモ】小山さんノート/ 小山さんノートワークショップ (編集)

「わからない」と思いながら辿る小山さんの足跡

 

「小山(こやま)さん」と呼ばれた、ホームレスの女性が遺したノート。

時間の許される限り、私は私自身でありたいーー2013年に亡くなるまで公園で暮らし、膨大な文章を書きつづっていた小山さん。町を歩いて出会う物たち、喫茶店でノートを広げ書く時間、そして、頭のなかの思考や空想。満足していたわけではなくても、小山さんは生きるためにここにいた。

80冊を超えるノートからの抜粋とともに、手書きのノートを8年かけて「文字起こし」したワークショップメンバーによるそれぞれのエッセイも収録。(Amazonより)
 
都内の公園のテントに住みながら膨大な日記を残して亡くなった「小山さん」という女性のノートを有志が文字起こしをして出版されたもの。日記文学は割と好きな方だがこれは内容が内容だけに、読んでいる間、ずっと息苦しさがつきまとっていた。
 
私自身も例えば仕事を失うとか健康を害するとか、何かの拍子で生活が困窮してしまう可能性を持っていることは理解しているつもりだ。しかし自分だったら「ホームレスになる」といういわば終着点に行く前にどうにかしようとするのではないか?という思いがどうしても拭えなかった。
 
なぜ公的な援助を拒むのか。なぜ病院に行きたがらないのか。結婚しているわけでもないのになぜ暴力を振るう男性と生活を共にしているのか。読みながら何度も「わからない」という思いがこみ上げる。
 
『時間の許される限り、私は私自身でありたい』という文章があるが、それは安全な住居に住むことや健康を保つこととは両立しないのだろうか?小山さんにとって社会はそんなにも窮屈で相容れないものだったのだろうか。生活の快適さを手放してでも守りたい『私自身』とは一体なんなのか。わからない。

私はホームレスの生活形態についてはほとんどわからないが、現金や未開封の酒までも拾う場面があり、それは純粋に不思議に思った。東京に出てきて初めて駅のゴミ箱から雑誌やマンガを拾う人を見て驚いたこと、周囲の人はそれを気にもとめていないことにも驚いた。かつて住んでいた地方都市にもホームレスはいたが、そういった行為をしている場面は見たことがなかった。
 
もう一点不思議なことは、小山さんがしょっちゅう喫茶店に行っていることだ。お金を払うのだから別に悪いことは何もないのだが、どういった喫茶店だったのだろう。入店を拒まれたりしないものなのだろうか。それともこれも様々な人が大勢いる東京ならではなのだろうか。
 
小山さんの日記はボキャブラリーこそ豊富なようで、独特の造語やよくわからない当て字などがあり、そこになんとなく社会からの距離を感じてしまった。
 
ホームレスになるまでの道の途中に何かしらの手立てはないのだろうか?ということを感じた一冊。