いーむの日記

本とか映画とか音楽とかいろいろ

【読書メモ】イサの氾濫 / 木村友祐

 

40代になりいよいよ東京での生活に行き詰まりを感じていた将司は、近ごろ頻繁に夢に出てくるようになった叔父の勇雄(イサ)について調べるため、地元八戸にむかった。どこにも居場所のなかった「荒くれ者」イサの孤独と悔しさに自身を重ね、さらに震災後の東北の悔しさをも身に乗り移らせた彼は、ついにイサとなって怒りを爆発させるのだった。第25回三島由紀夫賞候補作。(未來社HPより)
 
正直言って「イサ」と呼ばれる叔父の勇雄の荒くれっぷり(器物損壊、傷害、暴行)には「ないわー……」という感想なのだが、それでもぐいぐい読んでしまうのは私の東北人としてのDNAによるものなのか。

東北人は、無言の民せ。

したんども、ハァ、その重い口(くぢ)ば開いでもいいんでねぇが。叫(さが)んでもいいんでねぇが。

ここだけでもうぐっと来て涙が出そうになる。それでも最近は大谷翔平、佐々木朗希が東北のイメージを変えてくれたと感じている。東北弁が出てくる小説はもっと読みたいな。井上ひさしや「おらおらでひとりいぐも」は読んだことがあるので、他にももっと探してみよう。

 

 

 

【読書メモ】予期せぬ瞬間/ アトゥール・ガワンデ

 

テニスプレーヤー、オーボエ奏者などと同じく、医師も上達するには練習が欠かせない。ただし、医師には一つだけ違いがある。それは、練習台が人間であるという点だ

アメリカの医療ドラマの金字塔『ER』大好きな私にとっては、「あー!ドラマで見たわ」というような場面の連続で非常に興味深かった。

◆医者がミスを犯すとき(内容抜粋)

・自分の限界を知ることと自信喪失に陥ることは別

・自信をなくす以上に悪いのは自己保身に走ること

・人間でも完璧を期すことができるという信念を捨てたら医者でいられない

・医者には完璧を望むのではなく、完璧を目指すことを決してあきらめないことを期待してもらいたい

◆良い医者が悪い医者になるとき

元々評判の良い腕の良い医者がなぜずさんな治療をするようになってしまったのか?このプロセスもガワンデは明快に説明してくれる。つまり医師としての評判が高まる→患者が増える→「患者数ナンバーワン」の地位に固執するようになる→スケジュールが過密になる→予期せぬことが起きると「さっさと患者を片付けてしまおう」ということしか考えられなくなる→医療過誤訴訟へ ということだ。

燃え尽き症候群」のようになった医師も多く、「診察をおこなう臨床医の3から5%は患者を診られる状態ではない」とはなんとも恐ろしい状況である。そういった問題を抱える医者やパイロットに治療を行う精神科医がいるそう。

◆痛みの波紋

普通、痛みはその傷の深さや程度の大きさが比例すると思うが実はそうではないそうだ。重症を負った兵士は、通常だったら痛み止めを投与しなければ耐えられないような怪我(複雑骨折、銃創など)に対して半数が痛みを感じない、と答えた。これは生還した喜びが痛みの信号を感じないようにしている、というのが興味深い。

◆紅潮

赤面症を手術で克服したアンカーウーマンの話。スウェーデンイェーテボリで外科医が行う「赤面を制御する自律神経の一部である交感神経の線維を切断する」手術があるそうだ。赤面症が改善されたのは94%。副作用としては胸から上の部分に汗をかかなくなり、胸から下の発汗が多くなる、など。

◆食べることをやめられない人々

胃のバイパス手術の話。肥満は手術を受けるのも一苦労であることがわかった。メスが入りにくいことは容易に想像がつくが、そもそも手術台に移すのも一苦労とのこと。気をつけなくては。肥満を治す薬というものは存在せず(※本作は2017年刊行)、唯一効果のある治療法が外科手術だそうだ。ただし「40年後にこの手術が本当に効果的でやる価値のあるものだったと証明されるかは何とも言えない」とのこと。

◆ファイナル・カット

死亡後の解剖の話。19世紀頃はまだ身内が解剖されることを人々が望まなかったため、遺体が埋葬されるのを待って、墓をあばく医者もいたとか。深夜勤務を意味するgraveyard shift(墓地シフト)の語源だそうだ。遺族は墓に見張りを立てたり、こじ開けようとするとパイプ爆弾が爆発する「爆発棺」なるもので対抗。

◆赤い足の症例

足の水ぶくれが実は「壊死性筋膜炎」という致死性の感染症だったエレノアの話。足の切断で助かる場合もあるが、感染者の70%が死亡、感染を防ぐ抗生物質は見つかっていないそうだ。「確率は25万人に一人だから、まずありえないでしょう」などという数字には意味がない、私はその確率に当たったのだから、というエレノアの言葉が印象深い。

自分が選択した治療法が、適切であったかを知るのはもっとむずかしい。努力が少しでも報われると、今でも驚くことがある。しかし、努力は報われる。いつもではないが、十分満足できる頻度で。

 

 

「これ」をしない会社で働きたい

個人的に「これは好かん」と思っている職場環境について。

 

◆制服着用

都内で勤務しているとほとんど見ないが、地方都市に行くと、まだお昼時に制服姿の女性社員を見ることがある。私も新卒で勤務した会社が制服着用だったが何が嫌かって「出勤してから着替える時間が必要」なことだよ!なんでその分早く出社しないといかんのよ。車通勤の子は制服で出勤してたっけな……。別におしゃれしたいっていうんじゃなくて、制服って暑さ寒さに対応しにくいし動きにくいんだよ。体型の変化にも適応できないし、まじでいらない。(職種によって必要なのはもちろん理解している)

 

◆オフィスを社員が掃除

これはまじで廃止してほしい。教室掃除をさせられてきた延長にあると思うんだけど、掃除は業者を雇ってください。そんなことでケチらないでください。掃除は業務外です。しかも業務開始前にやらせるのってどうなの。ひとの時間を雇い主があまりにも無造作に搾取しすぎだろう。

 

◆給湯当番

お昼になる前にポットのお湯を沸かす当番。こんなの気付いた人がやれば良くない?湯呑み洗うとかふきんの漂白とかそういうの一切やりたくない。お茶出しもしたくない。昔、出向で外資で働いたことがあるが、給湯室は外部のサービス会社から専門スタッフが派遣されていた。びっくり。(オーダーを出しておけば人数分その人がお茶を出してくれる)

 

◆朝礼でのスピーチ、社訓の唱和、小冊子の音読

当番制でなにか気の利いたエピソードを全社員の前で話す、社訓を社員全員で唱和する、道徳の教科書めいた「ちょっといい話」が掲載された謎の小冊子を音読させられる。これらすべて経験したが、令和の今、すべて廃止されていると願いたい。ちなみに「社歌」だけは未経験。あれはいつ歌うんだろう。まさか毎朝歌うのか?

 

「もういらんだろ」と思う企業の風習(悪習)は現実にはまだまだいっぱいあるんだと思う。昭和50年代生まれの私ですら「くだらん」と思うので、若者の苦労はいかばかりか……と4月になると苦々しく思うのである。

 

「テルハラは若者のわがままだ!」と決めつけて良いのか?

『テルハラ』という言葉があるらしい。

toyokeizai.net

ネット上では「なんでもかんでもハラスメントにするな」「電話対応も大事な業務」という声が多く、若手社員のひ弱さを糾弾する声が多くあったように見受けられる。

だが本当にそうだろうか?

私が新入社員だった頃(90年代後半)はこんな電話対応が本当に辛かった。

◆代表電話

これってなんか意味ある?全部部署直通電話にできないの?社員数名とかならいいけど、自分の所属していない部署のまったくわからない電話に出るのって無駄じゃない?と思うのは少数派なんだろうか。

しかも昨今の若者は固定電話に馴染みの薄い世代。苦手意識があって当然だし、もう代表電話にみんなで出るって時代の方がおかしいのでは?

◆オレだよ!と名乗る社長

小さい会社に勤務していた頃、社長と部長が「オレ」と名乗るタイプで、声がすごく似ていて本当にわからなかった。まして入ってばかりの頃にわかるわけないだろう。いま思い出してもイライラする。

◆訛っていて聞き取り不能

とある地方都市のお客様がいて、電話での聞き取りが本当に困難だった。当時はまだメールが普及していなくて本当に苦労した。方言を軽んじているわけではなく、単純に意思の疎通ができないし、齟齬が出ることが怖かった。ゆっくり聞き直したところでどうしようもないし。

◆電話当番

昼休憩時間に、女性社員だけ電話当番をさせられていた。これは業務だから労基法違反だろう。お昼くらいゆっくりさせろ。

 

新卒で電話対応が本当に辛くて、その後メールが中心の業務にスライドしたとき、自分が「耳からの情報理解がとても苦手」であることに気づいた。テキストベースならすんなり理解できるのだ。こういう人、今ならきっとたくさんいると思う。

仕事の場合は日程とか価格とか数字を含むものが多いので、絶対テキストでないと「言った言わない」にならない?そういう面でも電話の良さが未だにわからない。(緊急性という以外に何?)

それに代表電話の受電って若者(と女性社員)がやらされがち。理不尽。「気付いた人がやる」っていう仕組みは個人的に本当に良くないと思う。「気づいてしまう人」に絶対しわ寄せが来るから。

そんな地獄の新入社員時代を過ごしてきて、現在は連絡のほぼすべてがSlack利用という仕事をしている。あんなに苦しんだのはなんだったのか!というほど快適である。

同じように電話苦手族にはベンチャー企業お勧め。営業職などは電話するだろうけど、それ以外の職種なら電話対応ゼロも可能だと思う。

車がなくてもネットスーパーがあればいい

我が家(夫婦ふたり・共働き世帯)は週1回のペースでネットスーパーを利用している。車を持っていないので、1週間分の買い物をネットスーパーに頼っているのだ。はっきり言ってこんなに便利なものはないと思うし、これがなかったら無理!とまで思っているのだが、こんな調査結果を見て驚いた。

 

prtimes.jp

えーー!こんなに普及してないの!?という感想である。我が家は10年ほど前から西友イトーヨーカドー、イオンのネットスーパーを利用しているので、もっと普及してると思っていたがそうでもないのか……。

リアル店舗で買い物をするのが好き!という人にはもちろん不要だと思うが、利用してみようかな~くらいの興味がある方には、全力でお勧めしたい。Amazon楽天やヨドバシで買い物したことあるなら全然抵抗なく導入できると思う。

メリットはこんな感じ

◆車がいらない
車がない場合、夫婦ふたりで買い物行ってもティッシュペーパーとトイレットペーパー買ったらもう終了じゃないですか。家で待っているだけで重いものも配達してくれる。ありがたい限り。
 
◆並ぶ時間がいらない
最大に嬉しいのがこれ。私は行列が大嫌いなので、ネットスーパーに手数料払ってもいい。有人レジに比べればだいぶましだが、セルフレジでもやっぱり並ぶ時間は発生する。
 
◆売り場をさまよわなくて済む
混雑している店舗内で棚をさまようのも嫌いなので、検索→発見→カートに入れるという流れが楽で良い。棚をさまよって余計なものを買う心配もない。
 
◆天候に左右されない
車がない、に関係するが、寒さ・暑さのさなかに荷物をぶらさげて歩かなくて良いのも大きなメリット。雨降ったら傘さして手も塞がるし。
 
◆決まったものを買いやすい
「お気に入り」にいれておけば、こちらもまた棚をさまよわずにさっさとカートに入れることができる。
 
◆品揃えも豊富
食料品だけでなく、衣料品や日用品、薬なども購入可能。スーパー行ってドラッグストア行って……みたいな「店舗のはしご」をしないで済む。文房具や家電まで売っているので一度見てみる価値はある。
 
 
逆に、利用していない人のイメージに対して、利用者(私)からの感想はこんな感じ。
◆送料が高い
個人的には全然感じない。それを上回るメリットを感じるかどうかだろう。ちなみに私が利用しているイオンは4,000円(税込)未満で配送料550円(税込)。これを高いとみるか安いとみるか。私は喜んで払う。
 
◆鮮度が不安
これは私がズボラなのかもしれないけど、スーパーのリアル店舗でもあんまり鮮度って目で見てピンとこないんだよなぁ……。そんなにひどいものは置いてない気がするし、ネットスーパーでも変なものが来たこともない。ちなみに注文したものが品切れの場合は代替品を持ってきてくれる。(代替品もなかった場合はリアル店舗へ買い物に渋々行っている)
 
◆受取時間に縛られるのが嫌
これも価値観の違いになってしまうが、『週1回土曜日の夕方受取り』のように予定を組んで、それを中心に週末のスケジュールを組めば全然気にならない。まあ子どもがいないから調整しやすいという面はあるかもしれないが。
 
【まとめ】
我が家は本当にネットスーパーには足を向けて眠れないレベルで活用しているので、事あるごとに周囲にも勧めているのだがなかなか実際に利用するまでには至っていない。もともと「ネットを利用していない」という層なら理解できるのだが、他のECサイトは利用しているのにネットスーパーだけ利用しないのって何故なんだろう?これは純粋な疑問。
デメリットが唯一あるとすれば『レジ行列への耐性が著しく低下すること』くらい。ネットスーパー、いつもありがとう。

「ラジオ深夜便・明日へのことば~父と兄に学んだこと~(目黒祐樹)」が面白い

3月26日(火)AM4:05放送分の「ラジオ深夜便」の「明日へのことば~父と兄に学んだこと~」が大変面白かった。(4/2(火)AM2:00まで聴き逃し配信中)

出演は俳優の目黒祐樹氏。父は剣豪スター近衛十四郎、兄は俳優の松方弘樹という芸能一家に生まれ、6歳で子役デビュー。嵐寛寿郎との共演というからすごい。何もわからないから「アラカン」と呼び周囲がハラハラしたとか、大きくなって再会した時に「大きうなったなぁ」と言ってもらった話など、まるで小説のようだ。

その他にも勝新太郎と父の共演、兄との喧嘩などのエピソードも面白いが、もっとも面白かったのが、母が亡くなった際に父・兄と一緒に3人でウィスキー5本を空けたという話。

酒量をさりげなくたしなめていた母がもういないからと自分が「お酒そのくらいにしてよ」と父に言ったところ「そんなことおまえに言われる筋合いはない!おまえみたいなもんは破門だ!」と言われた話。

「親子だと普通は勘当だと思うんですが……」「心のどこかで『さすが時代劇の役者だな』と」なんと半年も無視されていたそうだ。半年後に謝ったところ、何でもなかったように話してくれたとか。

私が感銘を受けたのが、話し方の巧みさだ。声の通り具合、テンポとリズム、滑舌の良さ。何度聞いても耳に心地よいのだ。内容がわかっていても何度も聞いてしまった。

それに加えて「~させていただいた」よりも「~してくださった」という表現や、最後「今日はどうもありがとうございました」と言われ「こちらこそ、お呼びいただいてありがとうございました」と返す、その日本語の美しさ。これは密かに真似したいと思った。

充実の40分だった。

エイプリールフールにもやもやしている

※エイプリールフールネタが好きな人は読まないでください

毎年4月1日になるとSNS上で「嘘」が投稿されるようになったのは一体いつ頃からだっただろうか?

私は毎年これにもやもやしている。特に結婚やおめでたといった、他人からの祝福を受けるであろうネタを投稿する、その感覚がわからない。昨今では「同性愛」をネタにする投稿まで現れて炎上する始末である。

エイプリルフール「同性愛」で2年連続炎上、嘘のネタにする残酷さとは | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン

 

「すごい!」とか「おめでとう!」と言ってくれた人に対して「エイプリールフールだよ~」っていうの何が楽しいのかさっぱりわからない。もっと突き詰めると「狙ってる感と、自分が面白いことを言っている、それが拒絶されないと思っている」その厚顔さが嫌なのだ。

 

時々こちらが怒ったり不愉快である、と表明することに対して「やだな~。冗談なのに本気になっちゃって」と言う人がいるが、それに似た嫌悪感。私がクソ真面目すぎるんだろうか。

 

ちなみに私はフラッシュモブも大嫌いである。

 

逆にセンスいい!と思ったのは1957年のBBC。「今年はスパゲッテイが豊作です」というニュースを流したそうだ。ご丁寧に木にスパゲッテイがぶらさがっている映像まで添えて。こういうのなら笑えるんだけど。

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