ノーベル文学賞が発表されると出版社はどうなるのか?

ノーベル文学賞発表されましたね。

毎年思うのですが、私は誰が受賞するかということ以上に、その作家に関わる出版社とか書店とか、現場で働くひとたちにはどのような業務が発生するのか?ということが気になる。

大きな書店は発表前にある程度予想を立てて棚を確保しておくのかなーとか出版社は増刷で大変だろうなぁとか。

で、実際にあるポッドキャストに質問したことがあります。それがこちら。2年前、ハン・ガンが受賞した際のことですね。ちなみに韓国ではハン・ガンの受賞で200万部以上刷ったそうな。

note.com

このポッドキャストは本にまつわるあれこれを話してくれる大好きな番組なのですが、こちらに問い合わせを送ってみました。

ありがたいことにメールを読んでいただき、なんと2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロを担当した早川書房の山口晶さんをゲストに呼んでくださっている!!

山口さんのお話によると、ノーベル文学賞は事前に候補がわからないので、待機はしているものの、本当に降って湧いたように仕事が一気に出てくるそう。

そのあたりの大反響に関してはこちらのサイトに詳しい。

booklog.jp

このサイトによると「在庫が一瞬で枯れる」っていう現象が起きたそう。やっぱり影響はすごいんだなぁ・・・。でもここまでノーベル文学賞が大きくニュースになるのは東アジア特有だとも。ブッカー賞なんか全然ニュースにならない、とのことだが、確かにそうか。

最後にこの回で印象的だったパーソナリティ・すずきさんとわたなべさんの言葉を残しておきたい。

意外とノーベル文学賞って、地道にいい本を探してしっかりと翻訳していた出版社へのご褒美みたいな感じがするんですけど。(すずきさん)

 

ノーベル文学賞って売れる売れないとかはいろいろあるかもしれないですけど、いろんな国にいろんな小説家がいて、そういう仕事をしてきて、いろんな出版社さんがいろんな翻訳のお仕事を通じて、それが読もうと思ったら日本語で読めるっていうのは、日本の出版書店文化の豊かさというか、
これまでの営みあってこそだと思うので。(わたなべさん)

 

47都道府県、県庁所在地をどれだけ覚えているか?に挑戦した

ふと「私はどれだけ県庁所在地を覚えて(知って)いるのだろうか?」という疑問がわいたので、さっそくテストしてみた。

まずChatGPTに「47都道府県全部あげて」と指示。出てきたものをひたすらコピー用紙に手書きで転記し、ひとつずつ県庁所在地を書いていく。

北海道・東北から関東あたりまでは楽勝、と思いきや青森県で「青森市?弘前市?八戸市……ではないよな?」と一瞬迷う。

次に東京都で迷う。冷静に考えれば都庁所在地で良いのだが、「県庁所在地」という概念に引っ張られて回答できず、あほすぎる。

書いているうちに「意外に県名と市名が同じとこ多いな?」と気づき「わからなければ県と同じ市名を書く」という技を使う。

すべて書き終えたら再度ChatGPTに「県庁所在地を追記して」と指示。回答を見ながら採点していく。

結果は47問中41問が正解、6問不正解。意外にも近畿地方が全問正解だったのに驚く。

不正解の内訳は下記のとおり。

 青森県 ×弘前市 ○青森市

 東京都 ×未回答 ○新宿区

 長野県 ×松本市 ○長野市

 鳥取県 ×米子市 ○鳥取市

 山口県 ×宇部市 ○山口市

 長崎県 ×佐世保市 ○長崎市

 

ところで前述の「意外に県名と市名が同じとこ多い」という感想は正しいのか?

これは「都道府県名と県庁所在地の名前が一致してないのはどこ?」で確認。47都道府県のうち 18か所ということが判明。

北海道→札幌
岩手→盛岡
宮城→仙台
茨城→水戸
栃木→宇都宮
群馬→前橋
埼玉→さいたま
神奈川→横浜
山梨→甲府
愛知→名古屋
三重→津
滋賀→大津
兵庫→神戸
島根→松江
香川→高松
愛媛→松山
沖縄→那覇

東京都→新宿区

だいたい約4割が違う、約6割が同じということか。しかし「埼玉県」と「さいたま市」はレアだ。発音は同じで表記が違うという。

今回県庁所在地テストをしようと思ったきっかけがある。私は小学生の頃、「学研」の「学習」を愛読していた。ある年の付録で県庁所在地を覚えるためのカセットテープというのがあったのだ。ちょっと検索したところ1986年6月・4年の学習教材だった模様。「北海道に春が来て さくよスズラン札幌市」というような歌詞が47都道府県分網羅されている歌が入っている。「さくよ」の「さ」が「札幌市」とかかってて、いわゆる語呂合わせですね。

しかし「茨城県の偕楽園 みごとにウメさく水戸の町」あたりは大変綺麗だが「宮城県の七夕は センチメンタル仙台市」に至っては「これ全部作るの大変だっただろうなぁ」という気持ちになってくる。(気になる方は「県庁所在地早おぼえ歌 学研」で検索してみてください)

次回は「47都道府県全部書けるかな」テストでもしてみようかと計画中。

手書きは疲れた

 

平成版・白い巨塔を振り返る

俳優の品川徹氏が亡くなった。

私はこの方の他の出演作を知らない。「白い巨塔」の大河内教授役たった一つしか知らない。それでもあの役ひとつで覚えているひとはたくさんいると思う。あのドラマのキャスティングは誰が考案したんだろう。素晴らしい配役だった。

「白い巨塔」の白眉は後半の医療裁判ではなく、教授選だと個人的には思っているので、要所要所でびしっと締めてくれる大河内教授が大好きなのだ。鵜飼教授も歯が立たない高潔な人物、というのがいい。

そしてドラマの最後の場面、財前の最後行き着くところが病理解剖を依頼した大河内教授なのだ。まさに大トリ。場面が締まるとはまさにあのことだ。

我が家では大河内教授のセリフを誦じているので、ちょっと悩んでいると「君の苦悩を私は支持するよ」と言ったりして大河内教授になりきる。

ちなみに平成版「白い巨塔」は他にもいろいろと思っているのでメモしておく。

  • 個人的ナイスキャスティング賞第2位は船尾教授役の中原丈雄。東教授を完全に舐めているあの高慢ぶり。教授選では票を取り込むために「では○○くんには××のポストを〜」と列挙していく。医学会のポストってそんなノベルティみたいに準備できるもんなのか。
  • 同率ナイスキャスティング賞第2位は『岩田はん』の曽我廼家文童。この人、べらぼうに芝居上手くないですか。常にコンビで出てくる西田敏行がどうしても目立つけど、台詞回しやたたずまいに毎回うなる。「あんたはまたそれや〜」という台詞も我が家ではよく使う。
  • 菊川教授もいいよね。佃&安西コンビに教授選の辞退を迫られた時の静かな怒りがよかった。東佐枝子にはもったいない。ああいうお嬢様の甘ちゃんっぷりをずばり見抜いてしまうところ「細雪」で雪子とお見合いし橋寺氏(細川俊之)を彷彿とさせる。
  • 女性陣では若村麻由美がダントツによかった。お嬢様育ちの苦労知らずなんだけど、根は悪いひとではない、というのがちゃんと伝わってきた。愛人(黒木瞳)と夫の最後の時間を作ってあげる度量の深さよ。病床でなんとか夫の支えになろうとしてリンゴ剥いてるんだけど、どうみてもやったことがなくて削いでる感じで手元が危なっかしいのも素晴らしい。
  • 財前の義父(西田敏行)が娘婿としてというより、人間として財前五郎を好きなのがいい。
  • 五郎がさ、義父に「杏子(妻)のこと頼みますね。あいつ何も失ったことがないから、若くして夫を失うということが認められないと思うんです」みたいなこと言うのよ。情愛みたいなのは夫婦間になかったかもしれないけど、お互いの性質はよく理解しあってたのよね。泣ける。
  • 財前五郎が根っからの悪人じゃないんだろうな、と思わせるのは母親役が池内淳子ってのも大きくない?あの母のもとで育ったのなら、と思わせる説得力。
  • 黒木瞳は愛人としては納得だが、バーのママっていうには細すぎない?と思ったが、2019年版の沢尻エリカよりは100万倍良いか。正妻VS愛人の場面、何度見ても楽しい。
  • 大河内教授に次いで初めて知った演技派といえば木村多江。素晴らしかった。
  • 弁当屋の佐々木さんは大阪人の描き方がちょっとステレオタイプすぎない?妻役のかたせ梨乃もちょっとミスキャストだったな。市井の人にしては濃すぎる。
  • 及川光博の国平弁護士も悪くはないんだけど、なんかこう「切れ者弁護士をイメージしてみました」っていう外見だと思う。実際の弁護士はあんなにわかりやすいメガネしてないよ。関口弁護士(上川隆也)との対比なのかもしれないけど。
  • と思ったら、78年版では小林昭二が国平役で児玉清が関口役らしい。見たい。
  • 最も言いたかったのがこれ。「東佐枝子はなぜ関口弁護士を『関口さん』と呼ぶのか」です。どんなに小さな事務所であっても、相手が弁護士なら「関口先生」と呼ぶのが筋だろう!あと佐枝子はね、「里見先生」とは呼ぶのに財前のことは「財前さん」って言うのよ!なぜ!?
  • 「島田陽子 白い巨塔」で画像検索してください。綺麗すぎてうっとりする。

 

紀伊國屋警察になりそうな私のもやもや

かつて「サイゼリヤ警察」さんというXアカウントがあった。要は「サイゼリ『ア』」と間違った表記でポストしている人を見つけて摘発(?)していたアカウントである。こういう思い違いというのは意外に多くあると思う。例えば「キャノンじゃなくキヤノン」とか「キューピーじゃなくキユーピー」とか。

私が見かけるたびに軽く『怒髪天を衝く』状態になるのが「紀伊國屋書店」を「紀伊国屋書店」と書いてあるのを見かけた時である。これはなぜなんだろうか。旧字体というものの存在を知らないのか、意識していないのか。

百歩譲って一般人が間違っているのはまあいいだろう。問題は企業サイトである。

www.nikkei.com

どういうことだ。これは。

Xで「紀伊国屋書店」と検索すると、出版社や自分の本を置いてもらったという作者の投稿が見つかった。それはどうなんだ。私は店や社名、人名の誤りはかなり失礼だと感じるので、何かに記載するときは必ず正式名称を確認する。

しかし旧字体ってのも不利だよなぁ。丸善だったら間違いようがないもんなぁ。

冒頭の「サイゼリヤ警察」さんのように「紀伊『國』屋ですよ!」と摘発すれば良いのだろうか。

とここまで書いてふと思いつき、「江国香織」とXで検索してみた。こちらは意外に少ない模様。やっぱり違和感あるもんね。

あとね、スーパーの方は「紀ノ国屋」です。お間違いのなきよう。

開店と同時に入店できない理由

イオンモールでも百貨店でもなんでもいい、複数のテナントが入っているタイプの店に開店と同時に入れない。

なぜか。各テナントの店員にお辞儀をされながら迎えられるのが死ぬほど嫌なのだ。嫌というか気恥ずかしい、という感じが近いかもしれない。なんか大げさじゃない?様式美なのかもしれないが、普通にしていてほしい。

でもあれがたまらなく快感!っていう人もいるんだろうなぁ。ふんぞりかえって気持ちよくなっちゃうタイプの人って案外多いと思う。

そもそも無差別に話しかけられるのが嫌なのだ。メンタルの調子を崩していた頃にウォーターサーバーの売り子にぐいぐい距離を詰められたのは本当に恐怖だった。なぜあんなに躊躇いなく、欲しいとも言っていない通りすがりの客に話しかけられるのだろうか。

『自分の話は聞いてもらって当然』とまでは思っていないだろうが、そう思わないとできない仕事だとは思う。その揺るぎなさがこわい。同じようなこわさを床にひっくり返って泣いているこどもにも感じる。私はいい大人になっても世間に対して自分の要求が通ると混じりっけなしに信頼できたことがないので、いくらこどもとはいえ、そこまでの思い込みがこわい。泣き叫んで自分の要求を突き通した記憶もない。(幼少期は母親がとにかく怖くて、泣き叫ぶなど思いつきもしなかった)

 

とりあえず歩いている客に話しかけるタイプの営業をする店は入れないでもらいたい、というのはイオンモールのお客様の声に書けばいいのだろうか。イオンモールはなぜあのタイプのセールスを容認しているのか。謎。

デジタルにはない手書きの良さとは

津村記久子さんの小説で見つけたペリカーノジュニアという子供用万年筆を衝動買いした。それでせっかくなので日記をつけ始めた。

万年筆は最初書き辛いのだが、馴染んでくるとまさに「しっくりくる」という感じがしてとても嬉しい。

日々の記録はつけたいとずっと思っていて、手書きでデイリー用ノートとかNotionとかAppleのジャーナルとかあれこれ手を出したが続かなかった。

いまの「B5のキャンパスノートに手書きで書く」というのは細々と続いている。(といってもまだ3週間くらいだが)

私がずっとデジタルか手書きかで迷っていたのは、デジタルは一覧性があるし、どこでも(電車の中でスマホで、とか)ツールを選ばずに書けるからだった。

この間、ノートに水をぶちまけてしまい、書いたものが滲んで読めなくなってしまった。一瞬がっくりきたが、水を拭き取っているうちに「なんかいいな」と思った。つまり「水をこぼした」という一瞬を、その滲んだページが文字よりも雄弁に語ってくれている気がしたのだ。

デジタルは文字が滲むことも掠れることもない。手書きだと元気なときは字が大きくなったり筆圧が強めになったり、何かしらの感情がそこに入る。疲れているときは後から読んでも何が何やらまさに「書き殴った」という感じになる。でもそれが記録というものだ。

もちろんデジタルの良さもあって、それは写真を添付したり、走った距離や日々の体重など、後で比較したりグラフにしたりする時だ。

でもそれ以外の、単純に思ったことやできごとを書くだけなら断然手書きがいい。なんというか、思考のスピードと書くスピードが共鳴しているというか、落ち着いてものを考えられる気がする。

仕事で一日中パソコンを叩いている私にとって、手書きの時間はいま一番気に入っている時間なのだ。

こうなるのが手書きの良さ

 

店はある 座る席がない

自由律俳句ではない。都内に出かけた時の感想である。

たまに友人と土日にランチしたりする。その店は予約するからいい。問題は食後にお茶でもすっか、となった時。入れる店がない。あっても座る席がない。ふらっと入れる店がないのは私の探し方が悪いのだろうか。

以前、丸の内周辺に勤務していたことがあったが、弁当持参で外に出ると、あちらこちらにベンチはあっても人で埋め尽くされているのだ。よく「東京は電車も店もいっぱいあるじゃん」などと言われるが、椅子の数以上に人がいる。

電車の方は本数は多いが何かトラブルがあったときのダメージが大きすぎる。自分が乗っていない路線まで巻き込まれるからだ。つい先日乗っていた東京メトロでは、地震で緊急停止、その次は他路線火災による大遅延&大混雑。もちろん地震による緊急停止は仕方がないのだが、その停止時間が10分なのか30分なのか2時間なのかまったくわからない不安ときたらなかった。大遅延の際は車内混雑が酷く「このまま乗ってたら死ぬ」と思い早々にJRに乗り換えて大回りして帰途に着いた。もうこりごりだと思った。こんなことで体力を消耗するのはごめんだとつくづく思った。

以前、上京したての頃はJR川口駅を利用していた。朝に事故があり大遅延したときのことを覚えている。まだ初心だった私はホームに入ってきた電車を見て「この電車は混んでるけど、一本見送れば次は大丈夫だろう」と思ったのだ。なんと無知だったのか。その後に入ってくる到底人が乗り込めない電車を三本くらい見送って、これはずっとこうなんだなと悟った。(結局乗れたのは七本くらい見送った後だった)

実際に電車が混雑した状況で必要以上に他人と接触していることはもちろん疲弊するのだが、私の場合は『一度に視界に入ってくる人の多さ』でもダメージを受けるタイプらしい。何せ近所のイオンモールも一時間が限界なのだ。土日はだいたい30分くらいで頭がクラクラしてくる。人口密度の高さがダメージに直結するのだ。

ちなみに私が帰りたいと思っている盛岡市の人口密度は約312人/km²。東京23区は約 16,000 人/km²。こんなの適応できるわけないだろう……。

私の願いはただ座る場所があるところに住みたい、ということだけだ。

盛岡のいかすベンチ

軽い食器の選択肢パート2〜グラス編〜

先日このような記事を書いた。

em-em000.hatenablog.com

要は疲れやすく手が小さい人は軽い食器を使うといいよ、ということでカノー(Kano)というブランドの食器を紹介した。

その際、うっかりして忘れていたのがもう一つの愛用品・グラスのことだった。こちらはプラキラ(plakira)という石川県の石川樹脂工業株式会社という会社のブランド。2022年に初めて購入してからその軽さ、丈夫さがすっかり気に入り、旅行に持っていくくらいのお気に入り。当初は280ミリを使用していたが最近は240ミリも愛用中。これに慣れたらもうデュラレックスのピカルディが重くて使えない。

カラーリングも鮮やかすぎず渋いので大人が使ってもおかしくないし、割れないのでアウトドアにも良さそうだ。耐熱温度100℃なので、熱々のコーヒーを入れても大丈夫。Amazonで購入可能。

ただしシャンパングラスだけは軽すぎて倒してしまうことが数回あったのであまりおすすめしない。背の低いグラスがおすすめ。

www.amazon.co.jp

子どもの文化はなぜ全国に広がるのか

私は秋田県出身。夫は埼玉県出身。共に1970年代(昭和50年代)生まれである。同年代ということを差し引いても「なぜ地域が離れていてここまで同じ文化が伝播しているのか」と思わずにはいられない。

たとえばインドの山奥である。ソーダ村の村長さんである。ABCの海岸である。明かりをつけたら消えちゃったである。

この手の替え歌はいったいどこから発生してどうやって伝わっていくのだろうか。一番考えられる理由はテレビやCMなのだが、そういうものを当時流行っていた番組で見た記憶はなく、本当になぜか突然クラスの誰かが歌っていてそれが口伝えで広がっていくのだ。なぜだ。

ひょっとして転校生が「前の学校ではこんなのが流行っててさ〜」と伝道したのかとも思ったが、転校経験のある自分の幼少期を振り返ると、まず馴染むことが先で、前の学校のことをべらべらしゃべるようなことはかえってタブーだった気すらするからその線はなさそうだ。

以前Xで「我が家ではよく『あたり前田のクラッカー』と親が言っていたが前田製菓って大阪の会社なのになぜ東北の片田舎まで伝わっていたのか」と投稿したら、前田製菓にいいねされたことがある。ちなみに私は前田製菓のクラッカーは一度も食べたことはない。

これとはまったく逆に「全国的にはメジャーだが私はまったく知らなかった」というカルチャーもある。ハトヤに決めたと山手線ゲームである。

まず東北民は静岡に縁がない。温泉は東北中にあるので行っても草津あたりまでだろうか。大人になってハトヤのCMをYouTubeで見たときに「これか!」と思った。ハトヤのCMは全国のどのあたりの地域まで伝わっているのだろうか。

山手線ゲームは仙台の大学時代に花見の席で出会ったのだが、ひとつのテーマに基づいたものを順番に挙げていくことがなぜ山手線ゲームという名称なのか皆目わからなかった。そこにいる誰も山手線には乗ったことがないはずなのにどこから伝わってきたのか。

今でも覚えているが「コンビニの名前」というお題で、ミニストップを挙げた秋田出身の同級生に対し「そんなコンビニはない」と断言したのは岩手の高校出身の私である。岩手にはミニストップはなかったのだ。逆に「キャメルマート」を挙げて失格扱いされたのも私だ。

これを書くにあたりちらっと調べたところ、岩手県にセブンイレブンが初出店したのは2000年。日本の初出店は1974年だから26年の開きがある。それなのに「セブンイレブンいい気分」を知っていた自分が今でも謎だ。

ファーストコンタクトがいきなり電話、はハードル高い

最近、ボランティアをしようかな、と住んでいる地域の情報をいろいろと探しているのだが、独自のWebサイトを持っているところが本当にない。

団体名と代表者と電話番号しか書いてない。まだやるかどうかも決めてないうちに突然電話って、いまの時代、かなりハードル高くはないだろうか。昭和世代の私ですらそう思うのだから、若年層なら尚更だろう。

まずサイトを見る→検討する→問い合わせはメールで、というのが現代の流れだと思うのだがどうだろう。病院なんかもサイトがないとなんとなく遠ざけてしまうけど。

以前、とあるボランティアをしたいと思い勇気を振り絞って代表者に電話をかけたら「えぇ?」みたいな怪訝な反応をされたことがあり、大変傷ついた覚えがあって、やはりいきなり電話をするのにはどうしても心理的抵抗があるのだ。

また平日が中心でなかなか土日にできるものって見つからない。働き盛りのひとは一体どうやって探しているのだろうか。都内23区ならたくさんあるのかもしれないが週末まで都心に行くのも嫌だし、どちらかというと自分の住んでいる市町村のためになることをしたい。

でもこれって飲食店とかにも言えるよなぁ。電話で予約がどうしても苦手、という知り合いに代わって予約したことも何回かあるが、基本的に食べログで予約しちゃうしな。

何らかの習い事がしたい、と思ったとしてアポ無しで突然教室に行って「見学させてください」なんていうのは、現代だったら下手したら不審者扱いされそうだ。

 

追記
そういえば数年前にあるボランティアに参加していたが、それも事前に1ヶ月くらい講習会に参加必須で、全部平日だった。だから参加できたのは無職時代だったし、参加者も主婦か定年後の世代しかいなかった。30代、40代が社会参加するためには平日講習はかなりハードルが高いよなぁ……。