いーむの日記

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もう聞けなくなった褒め言葉をまだ待っていること

昨日、3/5は父の誕生日だったので、父のことを書こうと思う。父が他界したのは私が29歳の時。2005年だったので、生きていれば77歳になる。

父は東北の雪深い地域の生まれ育ちで、寡黙というわけではなかったが、褒め言葉を積極的に口に出して子どもに伝えるような人ではなかった。

例えば私が受験に合格したり、良い成績をとったりした時、はっきりと言葉で褒められたことはあまり記憶にない。どちらかというと嬉しそうな笑顔が言葉をおぎなう、というタイプの人だった。

私は両親からの愛情を疑うことなく育った。叱られたり諍いがあったりどうしても相容れない考えももちろんあったが、それでも父が私を愛してくれていたことはきちんと伝わっていた。それで充分だと思っていた。

父が他界した時、父の知人や古くからの友人の方が弔問に来てくれた。その時「よく娘さんのことを褒めていたよ。自慢の娘さんたちだった」(私は二人姉妹である)と何度か聞かされた。それを聞いて驚いた。そんなにストレートに父から直接伝えてもらったことがあっただろうか。

アメリカのドラマや映画で「I'm proud of you」という言葉を、親から子へかけるのを見ることがある。『大草原の小さな家』でも「父さんはおまえを誇りに思う」と言っていたような気がする。

そしてそういう表現を見るたびに思うのだ。もっと言葉で伝えてほしかったと。私は40代も後半に差し掛かろうというのに、もう決して得られない言葉を、二度と会えなくなったひとからの言葉を切望しているのだ。

そしてその言葉を父の口から聞けたら、その時私も伝えたいと思う。

大切に育ててくれてありがとう。お父さんがいなくなった後に、私、結婚したんだよ。周りの友人たちがどんどん結婚しだしてちょっと焦っていた頃に「ここまで待ったんだから、相手を選ぶのに妥協するな」と言ってくれたよね。その教えを守ったから、ちゃんと素敵なひとに出会えたよ。

私が一番残念に思っていることは、彼とお父さんを会わせてあげられなかったことだよ。きっとお父さんも彼のことが気に入っただろうから、それまでもう少し待ってくれても良かったのに、あちらに行くのが早すぎるよ。

ともあれ、誕生日おめでとう。あちらで楽しく過ごせていますように。

 

愛する人がいなくなり、からだ中に怒りがあふれるのを感じるときも、あれもこれも心配したり疑問に思ったり、答えを求めるのはよして、速やかにひとつのことだけを思い出そうと努める。それは亡くなったわたしの愛するひとたちからこれまでに学んだこと、そして、これからも学べることだけを考えるべきだということである。すばらしい人生を送るのに役立つどんな遺産が残されたかだけを考えるのだ。(マヤ・アンジェロウ