いーむの日記

本とか映画とか音楽とかいろいろ

調子の良い日に思ったこと

「今日はどこも痛くもないしつらくもないな」という奇跡のような日

 いつも身体の調子がうっすら悪い、というか曇り空のような感じで40年以上過ごしてきた。虚弱というほどでもないが、幼い頃から風邪をひきやすく疲れやすく、外で思い切り遊ぶよりは家で本を読む方が好きだった。

 中高生の頃も1ヶ月に1回位は体調不良で欠席していたような気がする。高校生の頃、年間欠席日数がクラスで2番目だったことがあり、みんなそんなに頑張って来ているのか、と自分がひどく怠けものである気がして落ち込んだ。(その時の欠席日数が一番多かったのは入院していた子だったので、実質私がワースト?だったわけだ)

 小学生になる前から特に日曜の午後などは身体がだるくて仕方がなかったが、『だるい』という語彙がなかったので、疲労感によるため息が多くなることから『はあはあ病』と名付けていた。

 身体の不調を感じる要因はいろいろあるが、最近とみに感じるのが低気圧や台風に関わる天候の変化に伴う頭痛。これがひどい。次に年代的に更年期にさしかかっていること、喘息持ちであること、糖尿病であること、首都圏の気候と人口密度とスピードになじめないこと、等々がある。

 まあこの内訳にかんしてはどうでも良くて、今日は逆のことについて書きたいと思ったのだ。

 今朝は起床時からまず違った。スッと目が覚めていつもの身体の重いだるさがない。頭もすっきりとして程よい空腹感もある。(こういう日は年に数回しかない)

 朝食も適度においしく食べ、身体が軽いから朝から掃除も洗濯も家事全般がはかどる。体内からエネルギーが満ち溢れてくる感じで心も朗らかで自然とアクティブになる。昼食を食べてもいつもの眠気もなく、午後になっても元気な状態が続く。(いつもはどんなに糖質を制限しても必ず眠くなる)

 休日に予定は一個しか入れられない(疲れるため)のに、今日は午前中に図書館、午後に美容院という、私にとっては珍しいダブルヘッダーもこなした。

 そんな不思議な一日を過ごして思ったことがある。『普通の人はいつもこうなのか?』と。だとしたら私はものすごく人生をロスしているではないか。

 元々人混み・行列は大嫌い。フェスやイベントに行くことは自分の人生にはありえないとさえ思っていた。それらはすべて自分のひねくれた性格のせいかと思っていたが、単にスタミナ・パワー不足のせいだったのではないか?

よく体調を崩して自責の念にかられていたことも完全に無駄なことであって、他の人はそこまで細心の注意を払わなくても体調が崩れたりしないのでは?残業をすることはもとより、8時間・5日勤務ですらへとへとな自分と違って、健康体な人にとっては造作もないことなのでは?

 そう考えたら世間の人が花火大会や初詣や野外フェスやスポーツ観戦に行くのが少しわかった気がした。私も毎日こんなに身体が軽かったら行動範囲がもっと広がったのかもしれない。私は内向的な方で社会に対してずっと違和感のようなものを感じていたが、それは単純に『身体の不調』が生み出していたネガティブな感情だったのでは?とまで思った。

 身体の頑丈さには個体差がある、ということをもっと幼い頃に教えてもらいたかった。健康なのが当たり前ではなく、人によって頑張れるラインは違うことを。どうあがいても遺伝子には抗えないのだから、自分に配られたカードで最大限に頑張るしかないということをもっともっと早く知っておきたかった。

 あちこち具合が悪くなるたびに、宮沢賢治「永訣の朝」にある妹トシのことばを思い出す。

 うまれで くるたて
 こんどは こたに わりやの ごとばかりで
 くるしまなあよに うまれてくる

 (今度生まれてくるときには、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる)

 身体が頑健ではないからと言って手をこまねいているわけではなく、さしあたって起床時の身体の重だるさはなんとかしたい、と思っていて最近導入しているものたち。

どれも効いている気がする

 今日の調子の良さをもたらしたものはいったい何なのかは不明である。