出身地への愛着、というのは地域によってどのくらい差があるものなのだろうか?
というようなことをこの記事を読んで考えた。
ご当地への愛着度ランキング2024、首位は沖縄、上京者では北海道、「ぜひ来てほしい」の最下位は埼玉県(トラベルボイス) - Yahoo!ニュース
私は東北出身(秋田県、岩手県、宮城県に住んだことあり)、夫は埼玉県出身なのだが、地元について話していると、私と比較して、夫はどうも地元に対する愛着が少ないな、と感じていた。
以前、知人夫婦(夫が埼玉出身、妻が北海道出身)と夏の高校野球を観戦していたときのことだ。埼玉代表校が出ていたのだが、知人(夫)も我が家の夫も、どうもテンションが上ってない様子。「なんで埼玉応援しないの?」と聞いたら「別に愛着がないから」みたいなことを言われてびっくりした。(野球に興味がない、というわけではない)
東北人だったらピンとくると思うが、東北人というのはまず自分の郷里の代表校を応援し、そこが敗退したら東北代表の高校を応援するものなのだ。だから仙台育英が初優勝したときには宮城県以外の人たちも「東北全体の勝利」のように感動した。北海道のひとだってきっと地元を熱心に応援すると思う。(数年前の駒大苫小牧フィーバーを思い出す)
この埼玉県民の地元に対する愛着の低さは夫個人の性質なのかと思っていたら、上記の記事によると、埼玉県は最下位だというではないか。なぜか?これは『東京に近いから』ではないか?
埼玉県民にとっての埼玉県というのは、東京にすぐ行けるがゆえにそこまで思い入れを持つ対象ではないのだろう。だって川口から歩いて荒川越えたらもう赤羽なのだから。私にとっての故郷を表すことばは『思慕』だけど、それは滅多に帰れないからだ。
『ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく』(石川啄木)
この句にぐっと来るのは故郷を離れたひとである。そういうひとは心のなかに故郷をしまっており、東京で疲れたら都内のアンテナショップに行ったり郷土の料理を味わえる飲食店を探し出す。(少なくとも私はそうだ)
こんなことを埼玉県民がするだろうか。東北出身の私は埼玉に住むようになるまで『ベッドタウン』ということばの意味が長らくわからなかった。みんな市の中心部に出勤して帰宅したら寝ることには変わりないのに、なぜわざわざ『寝るために帰る街』なんて言うんだろう?と思っていたのだ。言葉の意味を心から理解したのは埼玉に住んで都内に出勤するようになってからだ。これは確かに『寝に帰る街』だと。
ただ東京出身の人はそれなりに地元に愛着がありそうな気もしている。埼玉県人の特徴といえば愛着ではなく『自虐』である。『翔んで埼玉』の大ヒットを見れば、埼玉県はいじっても良い対象として全国的に認知されており、それを地元民も楽しんでいるようなのだ。(不快感を抱いている人はどのくらいいるのだろう?)
これには東北人の私は本当に驚いたのだ。だって『岩手県人には、そこらへんの草でも食わせておけ!』なんて絶対に言えないではないか。こんなこと言ったら洒落にならないだろう。
こう考えてみると、自虐も「東京に近い」という余裕の一種のような気もする。埼玉県を擬人化したら、「愛着と言ってもねぇ……。都内も近いし、これといってねぇ……」と言いながら困り顔で頭をかいているのではないだろうか。
それはそれで愛嬌あるな、と思ったのだった。